
本日ご紹介します『これは使える〜』ですが、去る7/6に新登場新発売いたしましたCG地球シリーズ『EARTH UP』の中から0と1の所謂二進法数字が大陸になって立体的に描かれた地球儀イメージになります。
「テクノロジーの進化が著しい昨今にあって今更古臭い二進法をモチーフした絵図らはどうよ」と見慣れた人にとってはしつこく酷評されそうですが、しかし実際にその真っ只中で生きて暮らして活用されるデジタル産業が紛れもない0と1である事がそのものズバリ一瞬で理解できる、この画像は極めてシンプルでありインパクトに値するのではなでしょうか。
『デジタルが生み出す次なる一手』というキーワードが差し込む太陽の輝きによって無言のうちにもそう察しているように見えます。最近はとかくアイコン的な使われ方も多く、このぐらいサッパリしていて程よい間とオブジェクトサイズが理想的かも知れません。言わずと知れた0と1は間違いなく普遍的と言えるでしょうか。
この絵図ら以外にも面白地球を色々取り揃える『EARTH UP』計109イメージをご自身の目で是非ご確認ください。
→DEGIGA.JPサイトで『EARTH UP』全画像をチェックする。
タイトルにもあります『写真の先生業』を本日テーマにしたのは勿論私自身が何故そんな道に進んでいないのかをお話ししたかったからです。同時に、まあどうでもいい内容とも言えますが。しかしこれって今後栄えある写真家業を志す人にとっては結構重要かも知れません。先生業へのステップに兎に角まず大切なのは学歴経歴そして現在進行形の実働ではないかと考えます。
そこそこの準名門あたりの大学の写真(ビジュアル)学科かそれに準ずる専門学校の卒業(中退可)が最低限あって、そこで学んだノウハウを以ってある著名な先生と言われる方に師事しアシスタントを4〜5年は積んで仕事上の関係を徐々にでも広めていく必要があります。また並行してプライベートな作家活動にも余念なく勤しみ、別角度から自らの存在をそれとなくアピールします。
いずれは先生の籍を離れ独立せざるを得ないので出来る限り身近に敵(ライバル)を作らずに一種チーム制で行動し仕事をとっていく事が大切でしょう。専門は多岐にわたるのでその分野を極めていればそれに越した事はありませんし、信頼やつながりから自然と仕事は発生していくと思われます。
その頃になると年齢は大方30歳半ばでありおおよそ10年選手で発想や臨機応変など判断力営業力そして人脈にも幅ができ脂が乗ってきている時期なので表現者故の個性派として注目度もアップ。有名どころの各種大手写真家協会から入会のオファーも悉く発生してくるでしょう。やや余計な費用もかさみますが、すでに事業が順調であれば問題は皆無。
もはや一端のトッププロフェッショナルフォトグラファーの地位を確かなものにした訳なので『先生業』は程なく成立する事になります。時に雑誌社主催のセミナーをこなしコンテストの審査員を務め、母校その他の名門大学からの講師依頼も舞い込みます。機材メーカー(特にカメラ製造会社)から専属契約で新製品の性能をアピールする広告用試写を日本全国ないしは世界に飛んで撮影しタイトルには『何々写真家誰それが捉えたカメラ云々の超絶世界』などの謳い文句が躍る事でしょう。
それと合わせて大手カメラ専門店では定期的なフォトセミナーやモデル撮影会、憧れの賞という賞は毎回毎年つるべ打ち、他の有名作家とのライブ対談、雑誌の取材、テレビラジオ出演、有名タレントとの交流、キー局目玉番組の取材同行、有名写真家となれば当人のドキュメンタリー番組も決して絵空事ではありません。欲を言えば皆さんが一人の写真家として求め極めるとはつまりそんなゴールなんですよね。
さあここで私の登場です。私は今や実働関係者以外どなたにも相手にされない孤独なストックフォト作家であります。それでも30〜40代あたりはかなり血気盛んに活動していた口で、写真館(当時はカメラも販売する町の写真屋さん)で働いていた時期は先輩のノウハウを一手に受けて婚礼やぶつ撮り等を含むスタジオ写真全般で、そこそこライティングには自信もあったので各種表現には定評もありお客さんの評判は上々。
日頃からそんな口コミは多かったようで当時地元で考えられる必要なあらゆる依頼を請け負っていたと記憶しています。多くの会員数を有する大組織なる写真クラブ内でもその個性的な表現から半ばそれこそ『先生』扱いされていた風もありました。
ストックフォトを副業で始めた時期でもあり、海外の主たる観光地に足を運んでそんな画像素材を捉えては大手代理店(当時はアマナイメージズ一本やり)に預け、そこで得た売り上げを更なる取材費に当て新型機材をとことん使い倒し東京の大手企業が主催するプロの登竜門的なコンテストの幾つかを獲得、銀座での個展の権利も獲得しました。まさに優雅な写真ライフと言っていいでしょう。流石にここまで話すと単なる過去の自慢話に過ぎず聞く方は嫌気も指しますが、もう少し続けさせてください。
その後独立し小さいながら店を持ち同様に写真仲間を募って幾度となくバスツアーを敢行し撮影実習から合同作品展のサポート等々そこではまさしく『写真の先生』の立場だったと思いますが、ある時から実業である写真屋の経営状況があのバブル崩壊のあおりと元の立地の悪さも相まってお客さんが激減。僅か2年ほどで閉店しそれは同時に『写真の先生業』の終わりをも告げました。
あれから10年以上の月日が流れ、ここに来て突如勃発した無慈悲なストックフォト氷河期の中、明るい未来を見通せぬ不安と絶望の淵に絶えず最後の気力をぶつけている自分が居ます。そう、これが現実です。巷の情報によると実のところ殆どの主に地方カメラマンはこうなっているようです。中には一家離散なんていう話も聞きました。その点私などはまだどうにかなっている方だと思います。
便利この上ないはずのデジタルの躍進そしてその比重の格差が人の豊かな暮らしをじわじわ奪う、皮肉な世の中になりました。



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